式内 兵主神社(兵庫県豊岡市日高町浅倉)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 兵主神社

式内社 但馬国養父郡 兵主神社
読み: 古 ヒャウズ、現 ひょうず
所在地 兵庫県豊岡市日高町浅倉202
旧地名 但馬国養父郡浅間郷浅倉村(兵庫村 『国司文書別記 郷名記抄』)
御祭神 大己貴命(オオナムチノミコト)

『国司文書 但馬神社系譜伝』
人皇44代元正天皇の養老三年(719) 素戔嗚命(スサノオノミコト)
人皇45代聖武天皇の天平二年(730) 五十日帯彦命(イカタラシヒコノミコト)
例祭日 10月9日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
養父郡(ヤフ・やぶ):30座(大3座・小27座)
式内社

近代社格制度 旧村社

創建     年代不詳だが『国司文書 但馬故事記』に人皇四十四代元正(がんしょう)天皇養老三年(719)冬十月
本殿様式

境内摂社(祭神)

水無月神社

一口メモ

山陰道から但馬国府への支道、気多郡と養父郡の境にあり、旧養父郡浅間郷の北端で円山川支流稲葉川(中川)南側で、北側の旧気多郡とを関所のような分ける浅倉区の中心の小丘に位置する。

歴史・由緒等

由 緒
創祀は不詳ではあるが、棟札によれば寛永9年(1632)、延宝6年(1678)、享保14年(1729)に本殿を造立し、文化12年(1815)に覆屋を造ったとある。

-「兵庫県神社庁」-

『国司文書 但馬故事記』に、人皇44代元正(がんしょう)天皇養老三年(719)冬十月、機業拡張を為し、当郡の兵庫を浅間邑に遷し、健児所(コンデイショ)を置く。
伊久刀首武雄は、兵主神を浅倉に祀り、その祖雷大臣命を赤坂丘に祀る。兵主神社・伊久刀神社是れなり。

『国司文書 但馬神社系譜伝』

祭神 素戔嗚命
人皇44代元正天皇の養老三年(719)秋十月、健児所(コンデイショ・コニョショ)判官・伊久刀首武雄これを祀る。

祭神 五十日帯彦命
人皇45代聖武天皇の天平二年(730)春三月、郡の大領。正八位上・山ノ公楢男これ(五十日帯彦命)を祀る。

[註] 伊久刀(イクト)…伊久刀村。のち赤坂。今の豊岡市日高町赤崎 参照:式内伊久刀神社

五十日帯彦命…第11代垂仁天皇の皇子。

養父郡の兵主神社

養父郡には更杵村大兵主神社 朝来市和田山町寺内(旧養父郡糸井郷)がある。
『国司文書 但馬故事記』には、人皇42代持統天皇二年秋七月、
三宅宿祢神床陣法博士 大生部了(おおふのさとる)を率いて、夜夫郡更杵村に来たり。一国の壮丁四分の一を招集し、武事を講習す。また兵庫を設け、大兵主神を祀り、これを更杵村大兵主神社と申し祀る。
(中略)
人皇44代元正(がんしょう)天皇養老三年(719)冬十月、機業拡張を為し、当郡の兵庫を浅間邑に遷し、健児所(コンデイショ)を置く。
伊久刀首武雄は、兵主神を浅倉に祀り、その祖雷大臣命を赤坂丘に祀る。兵主神社・伊久刀神社是れなり。

とある。
養父郡の兵庫を糸井郷から浅間郷へ遷し、兵主神社もともに遷ったようだ。

境内・社叢

  
鳥居                        社号標


御神燈

   
狛犬

  
本殿覆屋


境内社 水無月神社

  
かつての農村歌舞伎舞台            境内入口に石地蔵 年号入りは市内唯一

但馬では但東町虫生(むしゅう)の安牟加(アムカ)神社(県指定有形民族文化財)が有名で、関宮、日高町にあります。

地名・地誌

浅倉

『国司文書別記 郷名記抄』
養父郡浅間郷兵庫村とある。
浅間郷の兵庫(ヤグラ)から浅倉となったものではないかと連想する。

1955年(昭和30年)2月1日 八鹿町、高柳村、伊佐村と宿南村の一部が合併し、新たな八鹿町が発足。宿南村の赤崎・浅倉は城崎郡日高町(現豊岡市)へ編入。

地 図

交通アクセス・周辺情報

参 考


1件のコメント

コメントを残す

アバタープレースホルダー

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA